Web Site Photo Essay Series “Shimura Hiroshi Cambridge Journal”
ケンブリッジ通信
  
第11号 ・ 2002年5
月20日発信 ・ 20 May 2002 Issue・ Vol. 11



英国ケンブリッジに永住し、シルクスクリーン版画作家・映像アーティスト・ビデオ・エッセイストとして
創作活動を続ける志村博
が、グランチェスターのアトリエから発信する “イギリス在住 映像エッセイ”

発信元/写真・文・デザイン: 志村博


J.アーチャー家の愛する“ワンダー・ランド”

ガウン(大学)がタウン(町)を凌駕する日


シベリアの大地に広がる、神秘の“春”紋様




J.アーチャー家の愛する“ワンダー・ランド”





●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。



4月下旬、日本から戻ったら不在中のアトリエに、メアリーからの留守電メッセージが残されていた。
“メアリー”とは、人気作家ジェフリー・アーチャー氏の奥方、メアリー・アーチャー女史のことである。
アトリエの道を挟んで向かい側がアーチャー邸で、グランチェスターを愛する地元仲間の1人である。
メッセージは
以前届けた“映像”のお礼だったのだがこの映像が素敵な招待のきっかけになった。

その映像とは、グランチェスターを愛した詩人に因むイベントや、メアリーが参加する聖歌隊の教会
コンサートを、私が撮影したビデオ映像である。 Mpeg動画ファイルに変換してCD-ROMに焼きつけた。
映像ファイルなので、日英のTVシステム相違も解決出来る。 CDの残りスペースに日本で放映された
「ビデオ・エッセイ」シリーズから、グランチェスター風景の映像部分を“おまけ”として追記しておいた。

“おまけ映像”はグランチェスター・メドーで見た夜明けの光景や、長閑に草を食む牛達の姿なのだが、
その映像を、メアリーは気に入ってくれた。 「あなたの映像を見た誰もが“素晴らしい!”と絶賛したわ。
良かったら、またうちの庭を撮影に来ない。 詩人ルパート・ブルックが愛した庭だし、今とても綺麗よ。」
庭の撮影許可だった。 私は喜んでこの“招待”を受け、アーチャー邸の庭を、本格的に撮影し始めた。

庭の広さは、約2エーカー(約8000u)、アーチャー夫妻が心から愛し、手塩にかけて整備している。
以前にも撮影した事があるし、時々庭の奥にある“フォリー”と呼ばれる彼らの書斎を訪れているので、
知らない庭ではない。 しかし、今回歩き周り驚いた。 庭のあちらこちらに
新しい彫刻が増えている。
茂みの中や池の辺りで、新顔の動物や妖精たちが出迎えてくれた。 おとぎの国へ踏み込んだようだ。



これから、機会がある毎に、季節折々の光の中、ゆっくり、楽しみながら撮影を続けて行きたいと思う。
撮影は、自然の光の状態を読み取ることから始まる。 チャンスとあらば、庭に駆け込む必要がある。
メアリーが不在で、ゲートが閉まっている時に、庭に入る為の“魔法の呪文”を特別に授かった。


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ガウン(大学)がタウン(町)を凌駕する日





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13世紀、ケンブリッジに大学が創設された時、町はヨーロッパでも有数の商業都市として栄えていた。
しかし、その瞬間から町(タウン)と、大学(ガウン)の“対立”が、始まったと言っても過言ではない。
当初は圧倒的に優勢であった町も、王家の庇護を受けた大学に利権を次々奪われ力関係は拮抗する。
中世から近世にかけて、対立は尖鋭化し、焼き討ち事件や流血の惨事が、少なからず起こった。

現代の町の姿からは想像し難いことだが、中世の商業都市は“ギルド”と呼ばれる同業者組合が、
王家や領主の特許状をもとに、様々な規制や利権を行使することによって、経済基盤を築いていた。
自治を目指す大学は、町の支配力と争わざるを得なくなる。 この対立を、「タウン・アンド・ガウン」と言う。
「ガウン」とは大学人の伝統的な正装であり、町(タウン)に対抗する大学の象徴でもある。

私がケンブリッジに住み始めた28年前には、ケンブリッジ市議会に、まだ“大学議席”が残っていた。
水上交通衰退で、商業都市としての座を下り、議会制民主主義が確立した近代も“対立”は続いた。
歴代の課題である産業開発・人口流入抑制、自然環境保護などの行政問題で、強大な地主となった
大学側の意向が全面的に専行した。 その結果、今日の自然溢れる美しい学園都市を形成し得た。

ケンブリッジ大学には、全学一斉に行われる卒業式はない。 年に数回、“学位授与式”が行われる。
この日は、ガウンを纏った大学人が、町中を行進してカレッジから授与の執り行われる会場に向かう。
30以上あるカレッジが、一日がかりで順番に行い、6月下旬学年末の授与式では、丸2日間行われる。
その日はガウンの群が、町を我が物顔に歩く事になる。 改めて、この町の支配者が誰であるかを知る。



学位授与式が卒業式と異なるところは、様々な学位が同時に授与されることである。 ガウンの後ろに
着けるフードは学位の種類によって色や形が違う。 授与式はカレッジ単位で執り行われるのだが、
学士から博士、その他名誉学位などの授与者もいるので、20代から60代と年齢層は驚くほど広い。



 
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シベリアの大地に広がる、神秘の“春”紋様





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英国・ケンブリッジ市に永住して久しくなるが、展覧会やTV収録のため、年に数回は日本へ行く。
毎度の長いフライトは退屈な移動時間なのだが、考え方によっては日常から離れた夢時間でもある。
日本とヨーロッパを結ぶ北周りフライトは、その旅程のほとんどがシベリア大陸の上を飛んでいる。
1万メートル上空からシベリアの大地を眺め、その雄大さと北極圏の美しくも厳しい自然に息をのむ。

いつの頃からか、5月半ば雪解けの季節にのみシベリアの大地に浮かぶ不思議な“紋様”に気付いた。
大抵の場合は、雲に隠れて鮮明に見られなかったり、機内上映の映画に夢中になって見逃したり、
カメラを持っていなかったりして、映像に収める事が出来なかった。 しかし、ついに絶妙のタイミングと
気象条件で、神秘の雪解けパターンと再会した。 小さな窓に、カメラをつけて夢中になって撮影した。

冬の間、北極圏は陽が当たることはなく、暗く雪と氷に閉ざされている。 春になると、徐々に明るくなり、
気温が上がると同時に、雪や氷が溶け始める。 シベリア北部に展開する沼沢地帯でも、5月になると、
遅い雪解けの季節が訪れる。 斜めに射し込む太陽は、まだら模様に雪を溶かし地表の起伏を描きだす。
点在する沼や湖、その合間を流れる川は、氷雪の白と地表のコントラストで浮かび上り紋様状に広がる。



これらの雪解け紋様は、地上で見ることは出来ない。約10キロ上空から見渡すマクロの風景である。
しかし、ミクロの有機形態と極似していることに驚いた。 細胞の電子顕微鏡映像を見ているようだ。
植物の葉脈や、動物の臓器の断面にも似ている。 宇宙を司る“法則”は、唯一無二なのだと感心する。



雄大なシベリアの“大地”には、雄大な“大河”が流れる。 広い氾濫原の中を、自由奔放に蛇行しながら、
幾筋にも分かれ三日月湖を造り、そして北極海に注ぐ。 流れの力で侵食・堆積した痕跡が年輪のように、
雪解け紋様に刻まれる。 1万メートル上空からでも、その全容を見渡せない。 巨大な“墨流し”のようだ。



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