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Site Photo Essay Series “Shimura
Hiroshi Cambridge Journal”
第12号 ・ 2002年8月20日発信 ・ 20 Aug 2002 Issue・ Vol. 12 |
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英国ケンブリッジに永住し、シルクスクリーン版画作家・映像アーティスト・ビデオ・エッセイストとして 創作活動を続ける志村博が、グランチェスターのアトリエから発信する “イギリス在住 映像エッセイ” 発信元/写真・文・構成: 志村博 街灯に妖しく浮ぶ中世の街並み 変貌し、迷走し始めた“苺”の祭り 芝生が花咲いた、庭師不在の夏
![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 ケンブリッジの中心部には、中世以降の歴史的な建造物が多く建ち並んでいる。 街並み全体が、 “博物館”であるとも言われる。 この旧市街の一角には、伝統的なカレッジや、大学の講堂などが、 建設された当時の姿を、そのまま留め、建ち並んでいる。 これらの建物は修繕を繰り返しながら、 何百年も風雨に耐え、今日も現役として使われている。 このように中世の街並みは守られてきた。 近世以降の市街拡張は、主に北と東の方角に進められた。 商工業地域も北東地区に展開している。 街の中心部、ケム川沿いの旧市街は、中世の交通システムのままに残され、鉄道駅の建設さえも、 大学の強い意向で、街の外に追いやられた。 利便性のみを追求せず、伝統の市街を保持してきた。 中心街への車の乗り入れは厳しく制限され、学生達の自転車が、我物顔で狭い道を走り抜ける。 そんな伝統的な街並みの中を、深夜歩いてみると、昼間とは違う歴史的エッセンスに満ちている。 ショッピング街の光から隔てられ、控えめな街灯の光に浮ぶ街並みは、現代的な物を包み隠し、 中世の世界に“タイム・スリップ”したようである。 今年の初夏、そんな夜景を撮影しながら歩いた。 真夏の夜空には光が残り、学年末の開放感で、学生達は楽しそうに、深夜の街を行き交っていた。
この街並みの住人は、ケンブリッジ大学人である。 カレッジでは教官や学生達が共に生活している。 大学が夏休みに入る7月から9月の終りは、夏の観光シーズンと重なる。この街並みを闊歩するのは、 “大学人”から“観光客”へと入れ替わる。 狭い中世の街路に、こだますのは、観光客の歓声になる。 ページ・トップに戻る |
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![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 6月上旬のとある日曜日。 苺が市場に並び始める頃、ケンブリッジの中心から北東に僅か1Km、 ケム川に沿った広大な緑地(ミッド・サマー・コモン)で、“ストロベリー・フェア”なる祭りが開かれる。 この訳ありの“苺祭り”は毎年、物議を醸し出し、存続を問われながら、今年も大々的に開催された。 この祭りには、開催当初から、私自身興味を持っていたのだが、その変貌ぶりには戸惑いもある。 なぜ、“ストロベリー・フェア”と名付けられたか、誰も知らない。 30年くらい前に、この緑地に隣接する カレッジの学生が、始めたとの説が有力であるが、その数年後“市民の祭り”として、定着し始めた。 緑地に、市民達が思い思いの店を出し、自慢のケーキや、芸術家の卵たちは自分達の作品を並べて 売り込みに必死だった。 仮設ステージでは、地元のアマチュア・バンドが、下手ながらも熱演していた。 当初、苺祭りは小さいけれど、日本の学園祭に夏祭りを足したような、平和で長閑な市民祭だった。 しかし、いつの頃からか変貌を始めた。 イギリスでは“トラベラー”と呼ばれるヒッピーの様な人達が、 各地から大挙して祭りに集まるようになった。 祭りは醜く膨張し、その性格も徐々に変って行った。 彼らは、半ば公然と“ドラッグ”をやり、不法に野宿をしては、周辺の住民達に多大なる迷惑をかけた。 当然の事に、住民達の強い反対で開催に“待った”が、かかった。 しかし、市民の運営委員の熱意や、 警備や規制の強化を計りながら、危うく“継続”されて来た。 それでも、毎年多くの逮捕者が出ている。 そして、今年ついに恐れていた事件が起こった。 家族で祭り見物に来ていた男性が、見知らぬ男に、 突然、ナイフで胸を刺された。 一命は取り留めたが、動機は不明で、今だ犯人は逮捕されていない。
目立たないように撮影をしているが、絡まれた事もある。 もう市民が子連れで寛げる祭りではない。 今後、開催されるのか不明であるが、イギリス社会の許容限界との駆引きや、開催議論に興味がある。 少々毒のある魅力に満ち、危なげに迷走を始めた“苺祭り”の行き先を、私は見つめて行こうと思う。 ページ・トップに戻る |
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![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 今年の春先は雨が多く、晩春は気温が高かった。 その為、例年よりも植物の生育が促進されたらしい。 牛飼いのブレットさんは、牧草の状態が良いので、牛達を、2ヶ月も早くグランチェスターの牧場に放した。 ティー・ガーデンのオーナー、カレンさんは隣接するメドーが未曾有の“野の花畑”を出現させた事に驚き、 アーチャー邸の庭は、春の美しい色彩に包まれた。 私は撮影に飛び回った。 この春、皆の話題だった。 そんな晩春、アトリエの庭のメンテナンスを全面的に頼んでいた庭師が、体調を崩し来られなくなった。 私は手入れを一部肩代りしたものの、芝生は刈らずに放置した。 初夏の好天気に、芝は成長し始め、 あっと言う間に“草原”が目前に出現した。 伸びた芝草は、爽やかな風に波打ち、そよぐようになった。 しばらくすると、芝は花を咲かせた。 槍の様に上に伸びた穂先は、下の方からほつれる様に広がった。 緑色の穂は、広がり始めると同時に薄茶色に変る。 陽の光が当たると、黄金色に輝き、風に揺れた。 広い草原とは違い、周囲には庭木が立っているので、斜めの光線は、芝の花園に微妙な影を落した。 早朝と夕暮れが最も美しい時間で、傾いた太陽光が樹間を透して射し込み、部分的に穂花を照らした。 朝夕の柔らかい光が、地味な芝の花を、淡い色調で煌めかせた。 私は時を忘れ、撮影に熱中した。
6月中旬に、しばらく休んでいた庭師が仕事に戻った。 しかし、芝を刈るのは少し待ってもらった。 7月前半は、日本へ行く予定だったので、その前に心行くまで撮影をしておきたかったからである。 その後、芝は刈られ“緑の芝生”に戻ったのだが、一部を刈り残し、自然のまま残すことにした。 ページ・トップに戻る |
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