Web Site Photo Essay Series “Shimura Hiroshi Cambridge Journal”
ケンブリッジ通信
  
第13号 ・ 2002年11
月20日発信 ・ 20 Nov.2002 Issue・ Vol.13



英国ケンブリッジに在住し、シルクスクリーン版画作家、映像アーティスト、ビデオ・エッセイストとして
創作活動を続ける志村博
が、日々の生活に根ざしたテーマを、映像と文章で綴る“映像エッセイ集”


発信元/写真・文・構成: 志村博



11月の花火が、暗い夜空に映える

初秋の午後、詩人が愛した庭に集う


夕焼け空に、悠久の時の流れを思う



11月の花火が、暗い夜空に映える





●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。


1605年、時の国王“ジェームス一世”に不満を抱くカトリック教徒が、議会の地下室に爆薬を仕掛け、
11月5日の議会開会日に、国王・議員を爆殺しようとした。 この爆弾テロは、寸前に発覚、阻止された。
この事件の首謀者とされたのが、ガイ・フォークスである。 事件の真相は謎であるが、以後、この日は
反カトリック・キャンペーンとして“ガイ”の人形を焼き、
陰謀未遂を祝った。 今では、もう宗教色はない。

つい10年程前まで、子供達は“ガイ・フォークス”の張りぼて人形を作って、人通りの多い路上に置き、
「ペニー・フォ・ガイ」と言って、通行人から“花火代金”をせびっていた。 この子供達の姿を見ると、
もう11月が近い、と思っていた。 しかし、そのような街角風景は、最近見られなくなった。 その要因は、
同時期の
ハロウィーン人気が高まった事や、路上せびり行為を、多くの学校が禁止した事に因るらしい。

11月5日に日本からイギリスに帰って来た事がある。 夕闇が迫る頃、飛行機はイギリス上空に達し、
ゆっくり高度を下げ、着陸準備に入った。 窓から地上を見下ろして驚いた。 あちらこちらから花火が、
空に向けて、打ち上げられている。 とても不思議で、感動的な光景だった。 この夜はイギリス中の
いたる所で、花火が打ち上げられ、大きな焚き火が、夜空を焦がしている。 “晩秋の火祭り”である。



ケンブリッジ市の中心部に近い緑地“ミッド・サマー・コモン”で、開かれた花火大会は、今年も盛大だった。
午後7時半から30分間、色鮮やかで、賑やかな花火が、次々上がり夜空を彩る。 その度に歓声が上がる。
打ち上げ花火が終ると、ガイの人形が掲げられた巨大な焚き火に点火される。 人々は名残り惜しそうに
焚き火を遠巻きにして、いつまでも大きな炎を見つめる。 季節は冬に向い、秋の夜長が粛々と更けて行く。



毎年11月5日は休日平日に関わらず、緑地の一角には移動式の大型遊具が設置され、お祭り騒ぎとなる。
隣接する道路は車輌通行止めになり、会場や路上で小さな花火を振り回す子供達や、所々でピカピカ光る
おもちゃが売られ、色とりどりの光が交錯する。 秋も深まり寒さも増した夜に、人々は無邪気に光と戯れ
る。
ガイ・フォークス・ディが終ると、街はクリスマスの飾り付けが始まる。 11月以降の市街は夜の輝きを増す。



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初秋の午後、詩人が愛した庭に集う





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2002年、9月1日・日曜日、麗らかに晴れ上がった初秋の午後、実に7年ぶりにアーチャー邸の広い庭で、
詩人ルパート・ブルックの一人芝居が演じられた。 俳優マーク・ペイトン氏が、自ら書き、
演じる野外劇。
グランチェスターをこよなく愛した詩人“ブルック”の人間性や生涯を、彼の詩や、友人に宛てた手紙を、
朗々と語り演じる。 私としては、何回も撮影している馴染みの芝居であるが、今回は特別の思いで観た。

アーチャー邸(旧牧師館)は、ブルック自身がかつて住み、ここの生活を愛し、詩のタイトルにもなっている。
この庭での公演は、タブロイド誌のカメラマンが付き纏う最近の“アーチャー家”の事情から、以前のように
気軽には開けなくなっている。 この劇はマーク・ペイトン氏ならではの妙演である。 ペイトン氏とは長い
つき合いになるが、27才の若さで亡くなったブルックを演じるのは、これが最後かも知れないと言っていた。

今回は、ケンブリッジ・フォーク・ミュージアム(民族博物館)展示拡充のためのチャリティー募金活動で、
メアリー・アーチャーさん、地元のボランティア・グループ、支援グループの献身的な奉仕によって実現した。
勿論、ルパート・ブルック協会や、グランチェスターを描くアーティストが作品のチャリティー販売をしたりと、
多くの人が協力をした。 久しぶりにアーチャー邸で、グランチェスターの“主要メンバー”が一堂に会した。



20世紀初め、ブルックはケンブリッジの学生であった。 グランチェスターに移り住み、才能を開花させる。
ソネット“The Soldier”の発表で、文壇に彗星の如く登場する。 第一次世界大戦に一兵士として参戦し、
エーゲ海で作戦中に、戦病死する。 ペイトン氏は軍服姿で、ブルックを演じる。 彼が身に着ける軍服は、
ペイトン氏の祖父が実際に使っていたものである。 “ブルック”については
「英国エッセイ」を参照下さい。



募金活動に賛同して参加してくれたのは、ブルックの詩や、グランチェスターを愛する方々で、秋晴れの
涼やかな風に吹かれながら
、約1時間の一人芝居を心から堪能した。 その後は、中庭の芝生の上で、
アフタヌーン・ティを楽しんだ。 手作りのケーキが美味しく、私も撮影しながら、何杯もお茶をお代わりした。
久しぶりに“ジェフリー”とも、冗談を飛ばしながら話が弾み、私にとっても素晴らしい“初秋の午後”だった。



 
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秋の夕焼け空に、悠久の時の流れを思う





●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。


私のアトリエは、グランチェスターのほぼ東端に位置する。 庭を南に横切り、柵をくぐり、馬いる牧場を、
抜けると、視界が大きく広がる場所に出る。 そこは、南と西にほぼ一直線に伸びる低い丘になっている。
遠方にある集落や木立が、丘に隠され、広大な地平線が広がっているように見える。 この丘は耕作地で、
年ごとに異なる作物が植えられる。 今年の春は菜種の黄色い花で埋まり、秋は麦の若芽が育っている。

この南から西に広がる“地平線”に夕日が沈んで行く。 何時の頃からか忘れたが、この日没の風景を
撮影するようになった。 はじめの頃は、美しい夕景に気がついてからカメラを片手に、外に飛び出した。
しかし、大抵の場合は、刻々と変る夕焼け空に、最良の撮影チャンスを逃がしていた。 今年の秋は、
連日好天が続いた。 私は意を決して、本格的に“グランチェスターの夕焼け”を撮影することにした。

天候の推移を見ながら、日没時間を考え、どんな夕景になるか想像しつつ、早めに地平線の前に立った。
太陽が西の空に大きく傾き、日没を迎え、完全に空が暗くなるまで、2時間以上撮影を続けた事もあった。
私のビデオ・カメラは、刻々と変る空の色や雲の形を、間断なく記録し続け、一眼レフ・カメラやデジカメは、
夕空の一瞬の輝きを捉えた。 空を仰ぎ手にしたカメラのシャッターを押しながら、時が経つのを忘れた。



地平線の前に立ち、ここの夕焼けを撮影しながら、グランチェスターを愛した詩人、ルパート・ブルックの
有名な詩の一節が、突然頭をよぎった。 "And Sunset still golden sea, from Haslingfield to Madingley"

節尾の2つの名は、この地平線の南と西の彼方に潜んでいる村の名前である。 彼が詩に詠った夕空は、
私が立つ、この場所から見上げた空に違いないのだ。 今から約100年前に、ブルックもここに立っていた!


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