Web Site Photo Essay Series “Shimura Hiroshi Cambridge Journal”
ケンブリッジ通信
  
第15号 ・ 2003年6
月30日発信 ・ 30 June 2003 Issue・ Vol.15


英国ケンブリッジに在住し、シルクスクリーン版画作家、映像アーティスト、ビデオ・エッセイストとして
創作活動を続ける志村博
が、日々の生活に根ざしたテーマを、映像と文章で綴る“映像エッセイ集”


発信元/写真・文・構成: 志村博



黄色い畑で進む品種改良“農業革命”

閉ざされた門の向こうの“カレッジ風景”


グランチェスターの地平線“落陽神秘”



黄色い畑で進む品種改良“農業革命”





●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。



今年の5月は、ケンブリッジ周辺の“菜種畑”を撮影して回った。 それほど、素晴らしい光景だった。
一面黄色に染まる菜の花畑は晩春の風物詩で、私のサイトで何回も取り上げたテーマではあるが、
今年は明らかに何かが違っていた。 作付け面積が例年より多くなって、家の周囲にも広がっていた。
大量の花から風に乗ってくる蜜の香りがない。 それはむしろ不快な“匂い”だったので、歓迎である。

一昔前までは、このような畑は菜種畑ではなく、同じような花を咲かせるマスタード畑と決まっていた。
伝統的に、この地方はマスタード(西洋からし)の特産地だった。 近年の農業形態の変化で、徐々に
搾油用の菜種畑が増えていった。 しかも、この数年の間に、画期的な品種改良が進んでいるらしい。
私が気がついたのは、蜜の匂いの変化だけでなく、背丈がかなり低くなり、開花時期も長くなっている。

以前に調べたことがあるのだが、ケンブリッジは農作物の品種改良技術の“メッカ”である。 最近の
バイオ・テクノロジーの進歩もあり、ヨーロッパの農作物改良品種のほとんどが、ここで開発されている。
私が見ていた菜種畑の“菜の花”は、毎年のように改良が加えられていた新種である。 より多くの
収穫を目指すだけでなく、環境保全をより重視する農業政策転換にも適合する必要があるのだろう。

菜種の新品種のマニュアルを見せてもらったが、あまりにも専門的すぎて、私には全く解らなかった。
しかし、綿密な生育プログラムによって、作付け準備から収穫まで、管理されるらしい事は想像がつく。
イギリスの農業は、早くから近代化が進み収穫量が飛躍的に伸びてきたが、EU全体では、麦などの
過剰生産が問題になっている。 最近、菜種畑が多く感じるのは、穀類の生産調整のためなのだろうか。



白い雲と青空の下に広がる菜の花畑は、長閑な田園風景の典型のようで、ほのぼのした気分になる。
しかし、意外なことを知って驚いた。 農作物=食糧生産と、勝手に考えていたので、この畑の菜種から
生産される搾油は、食用油と思い込んでいた。 なんと、“エンジン・オイル”や“ペイント”など、工業用に
使用されることが多いそうである。 そのうち、菜種油で走る自動車なんかが、開発されるかも知れない。


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閉ざされた門の向こうの“カレッジ風景”





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ケンブリッジは世界的な学園都市であるが、観光都市でもあり、毎年多くの観光客が、世界から訪れる。
観光客の目指す先は、伝統的なカレッジの建物や中庭である。 しかし、“カレッジ”とは“学寮”であり、
教官や学生達が共に生活し、日々学業の研鑚に励んでいる場所である。 もちろん公共の施設でなく、
私的空間なのである。 その日々の生活ぶりは、ハリーポッターの魔法使い学校と基本的に変わりない。

30以上ある“カレッジ”の中で、観光客が覗き見たくなるような伝統の“カレッジ”は10くらいであるが、
一般の人や観光客が立ち入れる部分は、かなり限定されている。 生活の場であるので仕方ないが、
住居部分やホールと呼ばれる食堂、図書室などは、カレッジのメンバー以外の入場は認められていない。
通常、コートと呼ばれる中庭と礼拝堂が観光コースになっている。 それだけでも、十分に見応えがある。

しかし、毎年5月から6月にかけて、カレッジは一般の人や観光客に対して門を、完全に閉ざしてしまう。
学年末試験や学年末行事のためであるが、主要なカレッジは、正門だけでなく裏門にまで検問が立つ。
学生達にとって、学年末の試験は大変なプレッシャーで、いい加減な勉強でパスする事は出来ない。
この試験に失敗すれば、進級や卒業が出来ないばかりでなく、通常留年は認められず除籍になる。

この厳しい学年末試験重圧の反動で、試験が無事終了したときの学生達のはしゃぎようは尋常でない。
長く苦しい勉強から開放され、イギリスの爽やかな初夏の陽気を全身で受け、心行くまで喜びに浸る。
観光客を締め出したカレッジの中庭は彼らの独壇場となり、あられもない姿で馬鹿騒ぎを繰り広げる。
飲酒の上、カレッジの橋からケム川に飛び込むのは序の口で、本格的なコスプレ?までして浮かれる。



6月中旬に、所用でカレッジを訪れた時に出会った学生の一団はとても陽気で、昼間から酔っていた。
通りかかった他の学生や教官達から、声をかけられ愛嬌をふりまき、川沿いの庭で大はしゃぎである。
「なんで、そんな格好しているの?」という私の質問に、「もちろん、試験が終ったからだぜ。」と答えて、
カメラの前で、ポーズをとってくれた。 「試験結果は?」の次の問いには、「まだだから、幸せなのさ。」



6月下旬、試験も終り学位授与式が執り行われている日、カレッジの門では、厳重な検問をしていた。
普段は、メンバーでも立ち入れない中庭の芝生の上では、教官や卒業する学生たちと、そのゲストが、
“昼食”をとっていた。 白いクロスがかかった長テーブルには、ワインやイチゴ、ご馳走が並び、人々は
思い思いの格好で、寛ぎ談笑している。 学年末は、爽やかなイギリスの初夏で、最高の季節である。


 
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グランチェスターの地平線“落陽神秘”





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今年の春は、東京・六本木ヒルズ“ハートランド”大画面に投影するための映像作品作りに取り組んだ。
この実験的なプロジェクトで、数点の映像作品を編集したが、新たに撮影して制作したものも多かった。
その一つが“落陽”である。地平線に刻々と沈みゆく夕陽の光景が、4面のマルチスクリーン上に、
数分の時間ずれを組んだ4面の動画になって投影される。 独特な“時間空間”を表現する作品だった。

今でも、好天を見計らって、グランチェスターの地平線に沈む夕陽を、DVビデオカメラで撮影している。
快心の“落陽光景”は、めったに撮影出来ないのだが、沈み行く夕陽を見つめながら過ごす時間は、
至福の一時である。 なぜ、夕景は人の心を和ませるのか不思議である。 朝日が昇る光景を撮影する
機会も少なからずあるのだが、日が昇り撮影を終えた時には決して味わうことのない、安息感がある。

ビデオ撮影は数台のDVカメラを三脚に固定して、長時間撮影を続ける。 同時に静止画のカメラでも、
撮影をするのだが、最近は静止画像の精緻な画質に捉えられた夕陽に、より惹かれるようになった。
シルエットになった地平線と、赤く沈む太陽は、線と円の組み合わせで、単純な構図の写真になるが、
日本の伝統美“花札”の図柄にも共通している。 神秘的な夕陽の美しさを求め、地平線の前に立つ。



夕景の素晴らしさは、刻々と変化する空の色合いにある。 ワイド・レンズで、空一面の色彩美を写し撮る。
夕陽が、地平線に近づいた瞬間は、望遠レンズに切り替え、輝きを弱めながら消えて行く太陽を、捉える。
地平線辺りに漂う雲や霞みが、様々に落陽の光景を変える。 何も邪魔されるもののない地平線でしか、
太陽が沈む寸前の表情を見ることが出来ない。 落陽瞬間のドラマは、地球をとりまく大気と光が演じる。




夕陽は、地平線に近づくと空気層を通過する光の回折現象によって、やや扁平な楕円形に歪んでくる。
空気が澄んでいる時は、地平線まで達して沈んでゆくが、霞んでいる時には地平線に達することなく、
空気層に沈み込む。 その時、夕陽は楕円形の色彩グラデーションになって背景に溶け込んでゆく。
地平線にかかった太陽は、動きの見える対象物が近くにあるため、地球の自転する速さを実感させる。



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