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Site Photo Essay Series “Shimura
Hiroshi Cambridge Journal”
第16号 ・ 2003年9月15日発信 ・ 15 September 2003 Issue・ Vol.16 |
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![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 今年の夏は、“熱波”がヨーロッパを襲った。 ヨーロッパ大陸南部では、大規模な山火事が起こり、 旱魃が広がるなど、異常気象は社会問題になった。 8月になって、この熱波が西に移動を始めた。 熱波がイギリスに到達する前から、ニュースでは“熱波予報”も出され、大変な関心事になっていた。 南フランスの山火事ではイギリス人観光客の犠牲者も出る中、“熱波”はドーバー海峡を越えた。 8月には珍しく、連日快晴が続き、気温は上昇を始めた。一番初めに影響が出たのが、鉄道だった。 想定外の高気温のため、レールの熱伸張過剰が鉄道運行に支障をきたし、ダイヤが大幅に乱れた。 ロンドンの地下鉄には、冷房設備はなく、車内や地下道が蒸し風呂状態になり、苦情が続出した。 イギリスの気象観測史上最大の気温上昇で、熱波に対する備えのない生活システムは、混乱した。 ロンドンの最高気温は約38度、ケンブリッジは約36度の新記録が出た。 しかし、湿度が低いので、 “蒸し”暑さがなく、日差しも高緯度のイギリスでは、真上から照りつけることはない。 日本の猛暑と 比べるとかなり違う。 昼間でもレンガ造りの家の中は涼しく、野外の木陰は快適な爽やかさである。 湿気がないせいか、日本ではお馴染みの“夕立”もない。 毎日美しい夕焼け風景が広がっていた。 最も暑くなった期間も、最低気温は20度前後で熱帯夜になることはなかった。 しかし、レンガ造りの 住宅は熱を蓄積するので、みんな「夜は暑くて、眠れない。」と言いながら、夜の散歩に出かけていた。 熱波の間だけ、寝室を階下に移す家も多かった。 家から熱を逃がすため、窓やドアを開け放すので、 都会では空巣が急増したらしい。 交通機関や大都市では、予期しない様々な問題が噴出していた。 ところが、そのような混乱は他所事のように、カントリー・サイドは“熱波”に浮かれる人たちで溢れた。 8月は休暇の人も多く、通勤や通学の労苦から逃れられた幸運な人たちは、稀有な熱波と戯れた。 冬が長く暗い北国イギリスの住人たちには、熱帯への強い憧れがある。 その熱帯のような陽気が、 向こうからこちらにやって来たのである。 生活に不都合があっても楽しむべき時なのかも知れない。
ケンブリッジで、最高気温の記録が出た頃、私はティー・ガーデン“オチャード”の木陰で、オーナーの ロビン・カレン氏、映画「ルパート・ブルック」脚本執筆中のマイク・リード氏との3人で、昼食中だった。 話は尽きず、その日の“熱波予報”にも及んだが、不快な暑さはなく、35.9度の新記録であったことは、 後になって知った。 目の前には、緑陰でお茶を楽しむ、いつものティー・ガーデン光景が広がっていた。 ![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 暑くなると人々は水辺に集う。 イギリスの海辺は未曾有の人出となり、まるで湘南のごとく賑わった。 しかし、海水温は急上昇しないので、海上を霧が漂い、海辺で寛ぐ人達も、時折“海霧”に包まれた。 内陸部も、朝霧が発生することはあったが、昼前には晴れ上がった。 晴れても青空は霞み、日差しは 柔らかい。 街から近い“グランチェスター・メドー”にも、連日たくさんの人が押し寄せることになった。 人々は川岸に集い、川で泳いだり舟遊びをしたりと、散々に水と戯れた。 熱さに浮かれて子供たちも 大人たちも、半裸状態で野辺に寛ぎ、水辺はどこも喚声と水しぶきが上がった。 ヨーロッパ大陸では 気象災害をもたらした大熱波も、島国イギリスでは猛威を、奮えなかった。 山火事も起きなかったし、 顕著な旱魃被害も、死者が出たと言う話も聞かなかった。 取り囲む海が、熱波力を弱めたのである。
一般的にイギリスでは、暑い夏を「Good Summer」、寒い夏を「Bad Summer」と言う。 この例いでは、 今年は、「Very Good Summer?」と言うことになるが、近年頻発する洪水や暖冬傾向と、無縁では なさそうである。 これが地球規模の気候変動前兆であるとすれば、浮かれている場合ではない。 多くの気象学者が予告する、急激な“地球温暖化”は、一体私たちに何を、もたらすのであろうか? ページ・トップに戻る |
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![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 春の野辺は、キンポーゲや菜の花など春の到来を告げる花々で、一面の“色彩カーペット”のようになる。 桜、林檎などの木々も、春に枝一杯の花を咲かせ、彩りは風景を一変させる。 春は、色彩の季節である。 しかし、新緑が終わり、本格的な夏になった途端、鮮やかな彩りは風景から消える。 木々は深緑になり 牧草は穂を伸ばし種を付ける。 一面の草原はうす茶色に、麦畑も実りの季節を迎え、黄金色に変わる。 7月から8月にかけて、春季の彩りが消えた風景に、夏の花々が“色彩スポット”のように浮かび上がる。 ホリーホック、フォックス・グローブ、朝顔、アザミ、オグルマなど、色鮮やかな花が、長い期間、咲き続ける。 これらの花は、イギリスで自生していた野草であるが、伝統的に、コテージの庭花として定着したのは、 野や木々に、彩りが消える夏に、咲く花だからだろう。 人気があるのは、人にだけでは、なさそうである。 見ていると、様々なハチたちが、引っきりなしに花を訪れている。 彼らは、カメラを向けても知らん顔で、 花粉まみれになりながら、夢中で花芯に、頭を突っ込んでいる。 この時期、花の季節は過ぎ、菜種畑も 収穫が終っているので、少ない夏花こそが、大切な食料供給元になっている。 人の目を楽しませている のではなく、ハチたちの目を惹き受粉を手伝わせる。 夏花は、虫たちを魅了する“色彩スポット”である。
ケンブリッジとグランチェスターを結ぶ“フット・パス”の一番端、グランチェスター教会に抜ける小道には、 夏草が美しい花を咲かせる。 このフット・パス脇の花園は、レンガ塀とアスファルトとのわずか50cm程の 露地スペースなのだが、近所の人が、面倒をみている姿を、時々見かける。 過度に植え込まれることなく、 自然に配置され、しかも花が絶えない。 ここを通る人たちは、足を止め、花の一つ一つを覗き込んで行く。 ページ・トップに戻る |
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![]() ![]() ●上の写真にカーソルを合わせると映像がロール・オーバーします。 イギリスの田舎で出会う猫たちは、逞しく態度がでかい。 野や庭園を歩き回り、広い縄張りを持っている。 餌を十分もらっているはずなのに、狩りを日課にしているらしい。 つまり、彼らの縄張りは“狩場”なのだ。 彼らには彼らの“掟”があり、猫独自の生活圏を持っている。 人に甘えても、人の“家来”にはならないし、 飼われているのに、人とは対等の付き合いである。 何を考えているのか理解できず、神秘的ですらある。 私自身は猫を飼っていないが、彼らを見ているのは楽しい。 初対面でも呼べば立ち止まり、寄って来る。 知り合いになれば、猫の方から呼び止める。 そんな“友だち猫”が、何匹か出来た。(猫エッセイ参照) 私は餌をやることはしない。 彼らは私を退屈しのぎか、狩りの途中の気分転換と考えているのだろうか。 出会えば、喜んで寄って来て、しばらくの間、私に纏わりつき遊んでくれる。 そして、飽きると、立ち去る。 最近よく会うのが、アーチャー家の愛猫オリバー、ほとんど毎日アーチャー邸から道を渡って通ってくる。 私のアトリエの前の庭が彼の縄張りで、窓から覗くと草の上に座り、耳を立てて茂みの中のネズミや、 土の中のモグラの動きを窺っている。 とても真剣な眼差しだ。 時々身構え、ぴょんと飛び上がっては、 草場や茂みに潜む小動物を捕まえている。 まさに野生動物の動きそのもので、小さな豹のようである。 そんな精悍なハンター猫も、私の姿を認めるとすぐに“狩り”をやめる。 そして、「ニャーゴ」と呼びかける。 この呼びかけ声は、他の友猫たちの「ニャーン」とか、「ニャニャ」とは異なり、だみ声でかなり迫力がある。 まるで脅迫声である。 私の足元や手に、頭を擦りつけてネコ科特有の挨拶を交わし、友好を確かめ合う。 どこにでも、仰向けに転がり、ついには寛いで“グルーミング”を始める。 最近は抱き上げても、大人しい。
今年の夏、ジェフリー・アーチャー卿の奥方“メアリー・アーチャー”のドキュメンタリー番組が放映された。 全国ネットTVに、“オリバー”がメアリーさんと一緒に、堂々出演している姿が、微笑ましく、格好良かった。 狩りに励むのは本能だから仕方ないけど、野鳥保護団体によると、野鳥の敵 No.1は、飼猫だそうである。 畑ネズミも、モグラも、リスも、針ネズミ以外はみんな迷惑しているから、いい加減にしろよな。 オリバー! ページ・トップに戻る |
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