Web Site Photo Essay Series “Shimura Hiroshi Cambridge Journal”
ケンブリッジ通信
  
第9号 ・ 2001年11
月15日発信 ・ 15 November 2001 Issue・ Vol. 9


英国ケンブリッジに永住し、シルクスクリーン版画作家・映像アーティスト・ビデオ・エッセイストとして
創作活動を続ける志村博
が、グランチェスターのアトリエから発信する “イギリス在住 映像エッセイ”


発信元/写真・文・デザイン: 志村博



血統書付きエリート母牛たちの出産・子育て牧場

戦場に咲き乱れた野生のポピーに平和を祈る日


赤外線フィルムに浮かぶグランチェスター夢景色




血統書付きエリート母牛たちの出産・子育て牧場








私のウェッブ・サイトに、しつこいくらいに登場する“グランチェスター・メドー”は、正確には
Grantchester Meadows と記し“
メドー”ではなく“メドーズ”で、牧草地が複数形になっている。
これはケンブリッジ郊外の
グランチェスター村付近のケム川沿い西岸に展開する牧草地の
総称で、
生垣や柵で仕切られた牧場が6面ある。 その中でグランチェスター寄りの3面が今回の舞台である。

毎年決まったように、この牧場には6月の始めから10月の終わり頃まで、牛が放牧される。
この牧場で牛たちは、日がな一日のんびり草を食み、夜も草の上で眠り、牛舎に帰ることはない。
草の状態によって、約3週間くらいの周期で牧場を移動する。3面のうち必ず1面は空いている。
なぜだか、ケンブリッジ寄りの牧場3面には、牛が放牧されているのは最近見たことがない。

これらの牧場の中をケンブリッジから続くフット・パスが伸びている。
夏の時期、牛が放牧される
川沿いの長閑な小道
は、交通路であるだけでなく、何百年もの間、大学人に愛された散歩道である。
牛たちは、横一列になって草を食べながら移動しているのだが、時々母牛が子牛に乳を与えている。
子牛は群れから離れ、休んでいることが多い。 雄牛は見当たらず、母子の牛は顔が似ていて解る。

ある初秋の夜明け前、散歩に出た私は、この牧場の片隅で、黎明下に意外な光景を目にした。
一頭の母牛が、誰の介助もなく子牛を出産していたのである。 それ以来、様々な疑問が湧いて来た。
近くに牛舎はなく、これらの牛たちは、誰のもので、どこから来て、誰が面倒をみているのだろうか?
多いときは一日に数回も散歩に出る私が、一度も“牛飼い”らしい人に会っていないのである。




 とうとう、疑問が氷解する時が来た。 今年の秋、ついに“牛飼い”さんに出会ったのである。
いつもの散歩コースに、牛を撫でている“おじさん”がいた。 牛の様子も尋常ではない。 気持ち良さげに
甘えているのである。 ピーンと来た。 この人だ!私が探していた人はと思い、近寄って声をかけた。
名前はマイケル・ブレットさん。 それから30分以上、私の質問責めに喜んで答えてくれた。

ここに放牧されている牛たちは、繁殖用の雌牛とその子牛たちで、血統書付きの優良種だそうな。
冬の間は、ここから20キロくらい離れたウィリングハム村にある牛舎で、干草と麦を食べて過ごし、
牧草が良く育つ時期は、この牧場で草だけを食べて過ごす。
この間に、子牛を産む母牛もいるのだが、
見廻りは週に1回立ち寄る程度だそうである。 まさに牛任せの出産・子育て牧場なのだ。

イギリスでは近年、狂牛病・口蹄疫など畜産業界を揺るがす試練に見舞われた。 ケンブリッジ地区は
幸い感染から免れ、この牧場ではいつもと変わらぬ牧畜風景が続いていた。 しかし、日本でも狂牛病が
発見され不安が広がっている。
その事もブレットさんに訊いてみたのだが、彼の牛たちは人工飼料を
与えられる事はなく、全く心配していないそうだ。 この長閑で自然な牛の育て方こそが、本当の姿だろう。




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戦場に咲き乱れた野生のポピーに平和を祈る日







野生のポピーの種は地中に何年も眠っていて、種を含んだ土が何らかの原因で地表に現れると、
その刺激で発芽し、花を咲かせるそうだ。 
第一次世界大戦、ヨーロッパ戦線で、激戦が行われた
戦地では、爆弾や塹壕で掘り返された野原や戦没者の墓地に、赤い野生のポピーが咲き乱れた。
人々は一面真っ赤に染まったポピーの花園に、悲惨な戦争で亡くなった兵士達への思いを重ねた。


1918年 11月11日、第一次世界大戦の休戦が成立する。“11月11日”が休戦記念日となった。
1946年、第二次世界大戦の後、この日は二つの世界大戦の戦没者追悼記念日として制定された。
そして、赤いポピーの花が、この日の象徴となった。 11月11日に近い週末は “ポピー・ディ”と
呼ばれ、イギリス各地で行事が開かれ、あらゆる街や村では、戦没者にポピーの花が捧げられる。

グランチェスターを愛した詩人 ルパート・ブルック も、若い命を第一次世界大戦の戦場に散らせた。
今年のポピー・ディには、ここグランチェスターの
教会で、ブルック協会は“追悼の夕べ”を開いた。
キャンドルの光に照らされた祭壇の前で、彼の詩をパイプ・オルガンの調べと聖歌隊の歌声で綴り、
平和に祈りを捧げた。 新たな時代になっても、戦争で亡くなった人々への祈りは消えることはない。



赤外線フィルムに浮かぶグランチェスター夢景色



   



小型デジタル・ビデオ・カメラが登場して4年になるのだろうか。 毎年、新機種を買ってしまうので、
私のDVカメラもついに4台になってしまった。 2台目と4台目のカメラには、ナイト・ショット機能があり

気軽に赤外線映像も撮れるようになっている。 これは夜間撮影用で、目に見えない赤外線を発して、
暗闇に映像を捕らえるものなのだが、日中に自然の赤外線で風景を撮影する事に興味を持った。

今年から、折を見てはDVカメラで赤外線風景を収めている。 ケンブリッジ通信8号では、飛行機の
窓から撮った地上や上空の赤外線映像
を掲載した。 今後、ビデオ・エッセイでも赤外線映像作品を
発表して行きたいと思っている。 学生時代、赤外線フィルムを使って写真を撮った事を思い出した。
これは感度が低く夜間撮影
用ではない。 今でも、全く同じフィルムが市販されているのを見つけた。

早速、このフィルムを購入して、グランチェスターの風景を撮り始めた。 自然界の赤外線の量は
天候によって変わる。 露出計は使えないので、
久しぶりに暗室に入り自らフィルム現像を しながら、
最適な露光と現像時間を割り出して行った。 赤外線フィルムに浮かび上がった白黒映像は、
DVカメラの赤外線映像とも違い、幻想的で、
まるで夢のようなモノクローム風景が記録されていた。




上9枚の写真はお馴染みのグランチェスター・メドーの今年の夏の赤外線写真である。 青空からは
赤外線が来ないので黒くなり、赤外線を反射する雲や木の葉が白く輝く。 フィルターによってトーンが
変わり、これらの写真にはR1赤フィルターを使用している。 赤外線は可視光線と波長が異なるので、
焦点距離を手動調整をする必要がある。 皮肉にも、最近の自動焦点レンズには補正用の目盛がない。

太陽の位置によって陰影が強く現れる。 日陰の場所や曇りの日には感光するほど強い赤外線はない。
赤外線を反射する植物の葉は、種類によって反射率が異なるので、木や草によって明るさが違う。
下の写真はアトリエの南に広がるフィールドと並木で、上段右端がティー・ガーデン“オチャード”である。
川沿いのメドーに多い柳の木と“オチャード”のりんごの木、農道の並木、それぞれ違うのが面白い。


 


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