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志村君への弔辞
志村君、突然の出来事に私たちは、ただ呆然としています。
遠いパナマの地で突然亡くなったとの知らせを受けても、信じられませんでした。
今こうして君の遺影を仰いでも、まだ信じられない気持ちです。
私たちが出会ったのは、昭和41年に都立両国高校に入学し、生物部に入って
からです。40年近いお付き合いですが、志村君は意志が強く、自分で決めた
ことは何でも頑張りとおすという首尾一貫した生き方をしてこられたと思います。
高校生のときから、自分の興味のあることは徹底的に調べ、挑戦してきました。
周囲の人は気持ち悪がっても、大きな鍋を使って、野良猫やブタの頭などの
骨格標本を作っていましたね。 また、その後、大人になって、海外出張する
時も、ワニなどの骨格標本を作っていたようです。私には、何が面白いのか、
よく分かりませんでしたが、自分で作り方を調べて、高校の先生などに
怒られても、周囲の目を気にせず、やりたいことを実践するという行動力には
敬意を払っていました。
また、高校時代には写真が好きで、各種行事や旅行などの時には、カメラマン
顔負けの腕で、撮影し、自ら現像、焼付けまでやってくれました。写っている
人の人数分をきちんと焼き増しして、みんなに写真を配ってくれるという、
やさしく、几帳面な男でありました。
高校卒業後、仲間の進路は違いましたが、年1回、0B会の新年会には、
ほとんど出席されていました。 JICAに勤務し、海外出張が多くなってからは、
海外在住のため来られない年もありましたが、翌年には、珍しいお土産を持って
参加してくれるといった律儀な男でもありました。
1995年に、志村君の自宅を建て替えるときには、建築が専門の私の所に
相談に来られました。 建築設計も施工業者もほぼ決定してからでしたが、
幾つかの参考資料を渡して説明すると、詳細に読み、不明な点は私に細かく
質問して、自宅の設計に役立てていたようです。あっという間に、建築の
セミプロになってしまったようでした。 自分の部屋はさておき、皆で使う
キッチンやリビングダイニング、そして、奥様やお子さんの部屋の使い勝手を
よく考えておられたことが印象に残っています。家族を大事にされ、その生活の
しやすさを第1に考えていることが、その様子から推測されました。
''志村君は昔から、興味を持ったことには何でも取り組んでいました。
学生時代から、水泳などいろいろなスポーツ、趣味に取り組んでいるらしい
ことは話に聞いていました。 最近では、海外で覚えた乗馬に凝って、目本でも
馬を購入して、ご家族で乗馬を楽しんでいたようです。 それだけではなく、
50歳を過ぎているにもかかわらず、BMXやスノーボードにも凝りはじめ、
スキー場にも足繁く通っていたようです。 また、親子でローラーブレードを
楽しむ様子は、木場公園では有名だったそうです。
短い人生でしたが、そういった意味では、やりたいことを色々経験して、
忙しくも充実した一生だったと思います。
最近は、年に一回程度しか会えませんでしたが、今にして思えぱ、気になる
事がありました。新築した家には十分な収納スペースがあるにもかかわらず、
何故か、昨年の新年会では、志村君秘蔵の思い出の品の一覧表を持って
きて、希望者に分けてあげると言うのです。私は骨格標本や古い顕微鏡には、
興味が無かったので遠慮しましたが、何人かは、分けていただいたようです。
今にして思えぱ、何か、形見分けだったような気がします。
半年前の新年会で会ったのが最後になってしまいましたが、その時は、
パナマでの仕事に備えて、スペイン語のマスターのため頑張っているという
話とともに、タバコの煙を極端に嫌がり、次の新年会からは禁煙にしようと
強く主張していました。その後も、メールで激論が続きましたが、その頃から、
体の調子が悪かったのかもしれません。
両国高校生物部0B会の近しい人たちの中では、君が一番早く逝って
しまいました。 君のような青春の純粋さを頑固に身に付けて、人生を過ごして
きた人が、こんなに早く逝ってしまうなんて、天のもたらす不公平を恨まずには
いられません。
せめて、私達がこれからなしうることは、微力ながら、残された奥様と二人の
お子様の力となることだと思います。 それを、いま、私達は君の霊前に
誓います。
一人早く、逝つてしまつた志村君!!
もう、急いで、頑張らなくても良いのです。 ゆっくりと安らかに眠って下さい。
平成15年6月14日
両国高校生物部0B会 浮貝 明雄
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