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2003年2月1日更新

 
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 英国に在住し、シルクスクリーン版画作家として活動している志村博が小型DVカメラを駆使し、
 独自の テーマで、自ら取材・撮影・編集を行い制作したTV番組や映像作品の紹介ページ。



小型ビデオカメラを使い自らの感性で対象を映像に捉え、自ら語るビデオ・エッセイストとして、
朝日ニュースター「歩き目デス」の番組を通して
“映像エッセイ”作品を発表しています。






−−−−−  お知らせ
 −−−−−

『志村博のビデオ・エッセイ』 小さな村の小さなクリスマスは、
12月24日(火)、午後12時15分と、午後3時30分の2回、
朝日ニュースター「ニュースcafe」“歩き目デス” コーナーで放映されました。


この作品をもって、
朝日ニュースター「ニュースcafe」での
ビデオ・エッセイ・シリーズ放映は、当分の間
お休みです。


−−−−− コメント紹介 −−−−−

『志村博のビデオ・エッセイ』
小さな村の小さなクリスマス
の放映後、
千葉県のMさんより“お便り”を頂きました。 
その一部を紹介させて頂きます。


しんと静かで、ほんわりと暖かな、イギリスのちょっと田舎のクリスマス、じんと心に届きました。
日本のように、ぎらぎらてかてかした「いかにも」のクリスマスではなく、
人々の日常のあたりまえの敬虔さにあふれた イギリスのクリスマスの美しさが、映像や音楽から
あらわれていたように思います。 素敵なクリスマス・プレゼントを、ありがとうございました。


『志村博のビデオ・エッセイ』 小さな村の小さなクリスマスの放映後、
東京都のKさんより“お便り”を頂きました。 
その一部を紹介させて頂きます。


イギリスの片田舎の、クリスマス風情が良く表現されていて、思いのほか質素な
クリスマスだと感じました。 我々日本人には、教会に行ってミサを受ける習慣が、
無い為に興味深く拝見しました。 よくイギリスのクリスマスと、日本のクリスマスとが
比較されていますが、本当にそちらのクリスマスは、静寂で厳かなもののようですね。



『志村博のビデオ・エッセイ』 「赤外線風景、夢の夏メドー」の放映後、
茨城県のNさんより“お問合せ”を頂きました。 原文のまま紹介させて頂きます。


先日、番組を観ました。 あれはスゴイね。ああいうのは初めてみたって感じですね。
とても、おもしろかったので、もう一度観たいんですが、再放送とかするんでしょうか?
とにかく“さすが”でした。 感動の一語。


お答え> 残念ながら、「ニュースcafe」は生放送なので、再放送はありません。 しかし、
同様のご要望も多いようなので、“ビデオ・エッセイ”だけの特集を組んで 再放送される
可能性が大いにあります。 これからも、ご意見・ご要望をお送り下さい。 よろしく! 志村


『志村博のビデオ・エッセイ』 「光と色の空間ページェント」の放映後、
岐阜県のKさんよりコメントを頂きました。 その一部を紹介させて頂きます。


美しい映像に感謝、感謝です。小さな窓からの撮影、さぞ、ご苦労だったことと推察いたします。
雲、とひとことで言ってしまえない程、表情豊かで、美しく、見入ってしまいました。
一万メートルから見る日の出の映像は、極北のカナダで オーロラに見送られながら乗った、
早朝の飛行機から見た日の出を思い出しました。 あの時もあまりの美しさに、一秒でも
見のがさないよう、見続けていました。 感動再びです。

すばらしい絵やお芝居に感動しても、大自然から受ける感動には、勝つことはできないと、
いつも思います。  ボランティアを申し出た合唱団、思わず微笑んでしまいました。
H・Pの写真で拝見してたので、彼等に以前会ったことがあるような、なつかしさを覚えました。



第13回 “暖流が優しく包むイギリスの冬”12月20日(木)の放映後、
千葉県のTさんよりコメントを頂きました。 その一部を紹介させて頂きます。


昨日、映像エッセイを拝見しました。 最初の冬の空の雲と光に圧倒されてしまいました。
溜息と感動!でした。 まさにクリスマス前にふさわしい 静かな宗教音楽の調べのように、
優しくも壮大な存在感と、自然の底力を見せていただきました。
それを絶妙のアングルと編集でみせる先生の底力にも圧倒されました。

白鳥が画面なかほどの木のシルエットを渡っていくときに、 時々ちらりと光がきらめいたり、
水が流紋を描くところなど、 なまじの映画よりはるかに凄かったです。
ケンブリッジのクリスマス市の風景も かわいい店の飾りつけ(特にくまちゃん!)や、
愛らしい子供達、 無造作に手をポケットにつっこんだ大人たちなどの様子に
普通のTVのように作りこまれていない「映像レポート」の本当の姿を見たような気がします。

その他多くのコメント、ありがとうございました。 心から感謝です。 志村





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  「志村博のビデオ・エッセイ」  目次   −−−−−−−


<  小さな村の小さなクリスマス  (2002年 12月)

<  夕焼け空に、飛行機が飛ぶ
  (2002年 12月)

<   静かに流れ、優しく溢れる川   (2002年 11月)

<  赤外線風景、夢の夏メドー     (2002年 8月)

<
  光と色の空間ページェント    (2002年 7月)

<  
神秘の北極圏“春”紋様     (2002年 5月)


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−−−−−−  「志村博の英国在住ビデオ・アルバム」  目次   −−−−−


<  牛の親子を育む 自然のメドー   (2002年2月)

<  
暖流が優しく包むイギリスの冬   (2001年12月)

<
  
偉大な画家を生んだ田園風景   (2001年10月)

<  霧雨のケンブリッジを神輿が走る (2001年8月)

<  夏至の頃“真夏の夜の夢”は続く (2001年6月)

<  洪水に映える 川と大学の街     (2001年3月)

<  早春疾走!ケム川ボート追撃戦  (2001年2月)

<  栄枯盛衰“羊毛産業”が残した街 (2001年1月)


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歩き目デス 「志村博の英国在住ビデオ・アルバム」 < バック・ナンバー001

−−−−−−−−−−−  バック・ナンバー 001 目次  −−−−−−−−−−−


<  ある劇作家が夢見た理想郷     (2000年12月)

<  愛する詩人の小さなミュージアム (2000年11月)

<  初秋に“嵐が丘”の里を歩く     (2000年10月)

<  ムーアを蒸気機関車が走る     (2000年9月)

<  夏のケム川をカヌーで行く      (2000年8月)

<  アンモナイトが眠る浜辺で      (2000年7月)


−−−−−  < バック・ナンバー001をクリックするとジャンプします。  −−−−−






  志村博のビデオ・エッセイ   小さな村の、小さなクリスマス  (2002年 12月)
      
      

12月になると、日本の都市でも、クリスマス・ライトアップが目立つようになり、近年“過熱気味”でもある。
一般的に“クリスマス”は、サンタクロースとか、クリスマス・ツリーのような“ファンタジーの世界”として
受入れられ、宗教を超え多くの国々で親しまれている。 クリスマス時期になると、町々は華やぎを増す。
しかし、キリスト教圏では“クリスマス”こそは、キリストの生誕を祝う、1年で1番重要な宗教行事である。

私がイギリスに住むようになって、もう30年近くが経つ。
私自身はクリスチャンではないが、ある時、
私のアトリエがある村の友人から、教会のクリスマス・キャロルを撮影しに来ないかとの招待を受けた。
牧師さんとも相談して、キャロルの最中はパイプ・オルガン奏者の隣りから、式次第を撮影する事にした。 
イギリスでは、どこにもありふれた小さな村の教会で繰り広げられるクリスマスの様子を、映像に収めた。
 
人口500人足らずの小さな村。 クリスマスの夜、村の人々は懐中電灯を手に、次々と教会に集って来た。
牧師さんは、祭壇で祈りを捧げ、クリスマス・メッセージを語った。 パイプ・オルガン奏者は、音楽専攻の
学生が担当し、村人が中心のクワイア(聖歌隊)は、9曲のキャロル(聖歌)を歌った。 聖歌の合間に、
村人の有志7人が「キリスト生誕話」を、順に朗読 した。 忘れがちな本来のクリスマスの姿があった。


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  志村博のビデオ・エッセイ   夕焼け空に、飛行機が飛ぶ  (2002年 12月)
      
      

広い野に出て見る夕景は、次々と展開する壮大な光のドラマを観ている様である。 美しい夕焼け空は、
見る人を魅了して、誰でも“詩人”にしてしまうだろう。 ケンブリッジ市郊外、グランチェスターの南には、
視界が大きく広がる場所がある。 北西から南西までの空に向かい90度以上の広がりに、殆んど視界を、
遮るものはない。 夕暮れの風景は、
地平線に沈む太陽の光と、流れる雲によって、刻々と表情を変える。

太陽が完全に沈んだ後も、かなり長いあいだ空は明るく、残照に光る雲や暗いシルエットになった雲が、
絶妙なコントラストを見せる。 最近、あることに気がついた。 20世紀始め、彗星のごとく文壇に現われ、
27歳の若さで、第一次世界大戦最中、エーゲ海に散った早世の詩人ルパート・ブルック。 彼の代表作に、
グランチェスターの夕焼けを詠った部分がある。 それは、私が立っている同じ場所からの夕景であった。

詩人“ブルック”が、心苦しいほどの望郷の念で想い、詩に詠った黄金色の日没風景は、今も変らない。
しかし、ある時から飛行機雲が作る不規則な雲の
パターンが気になり始めた。 飛行機雲は飛行高度や、
気象条件によって現れ方が違う。 時には美しく輝き、日没後の空に金色の光を放つ。 ブルックがここで
夕空を見ていた頃ジェット機は飛んでいなかった
。 彼は飛行機雲のない純粋な夕焼けを見ていたのだ。


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  志村博のビデオ・エッセイ   静かに流れ、優しく溢れる川  (2002年 11月)
      
      

地球規模での気候変動が問題になり、近年ヨーロッパでも、洪水の頻度が増し、社会問題になっている。
洪水は人々の生活に重大な影響を与える。 川は自然の摂理で流れ、雨が異常に降れば、時に溢れる。
2001年2月、ケンブリッジを流れるケム川が氾濫した。 氾濫はグランチェスターの見慣れた風景を変え、
美しい湖水景観を出現させた。 溢れ出た水は水位が下がれば川に戻り、
いつもの牧場風景が広がる。

洪水対策には、一般的に“ハード・ディフェンス”と“ソフト・ディフェンズ”がある。 ハード・ディフェンスとは
堤防などを築き、川から溢れる出る水を物理的にくい止め、洪水から人の財産や命を守る方法である。
堤防によって閉じ込められた水は無理に流され、下流に異常な水位上昇をもたらす。 長期的に見れば、
堤防に囲まれた川は、川底への堆積によっても、
水位が上がってゆく。 恒久的で、完全な方法ではない。

イギリスでは、ハード・ディフェンス的な洪水対策を見直し、ソフト・ディフェンスと呼ばれる自然に則した
洪水対策へと方向転換をしている。 川を取り巻く自然環境を整備して、洪水の時は積極的に川を氾濫
させてしまう方法である。 異常な降雨があったとしても、上流域で一時的に水を、留め置くことによって、
下流域での水位上昇を抑制できる。 森の持つ保水性も注目され、河畔の森林保全が進められている。


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  志村博のビデオ・エッセイ   赤外線風景、夢の夏メドー  (2002年 8月)
      
      

今回のテーマは小型ビデオ・カメラに付いている夜間撮影用機能を使って撮った“赤外線映像”です。
太陽光線は赤外線を含みます。 赤外線は直進性が強く、澄んだ青空では乱反射せず、暗く映ります。
雲は白く輝き、植物の葉は赤外線を反射して薄緑色に浮ぶ。 幻想的な光景を、撮ることが出来ます。
上の写真の中の2点には“普通の映像”が隠されていて、カーソルを当てると、ロール・オーバーします。

赤外線映像を使って、ケンブリッジ郊外に広がるグランチェスターの“夏風景”を映し出してみました。
自然溢れるケム川上流域は、パントと呼ばれる平底舟や、カヌーで川の散策を楽しむ格好の場所です。
牧場では、爽やかな風の吹き渡る中、のんびりと草の上にすわり、太陽の光を浴びて、寛ぐ人々の姿。
湿度は低く、気温も25度を越えることは珍しく、日は長いけど“短い北国の夏”を、皆心から楽しみます。

ケンブリッジ市中心部から南側には“グリーン・ベルト”と、呼ばれる広大な緑地帯が、広がっています。
近年、宅地化などの開発は、厳しく制限され、自然環境が100年以上にわたり、守られてきた場所です。
街に住む人々は、散歩をしながら、または舟に乗ったり、自転車に乗ったりして、ここに来ます。
田園風景の中で、1日のんびりと過ごし帰って行きます。日常的にアクセス出来る身近な“自然”です。


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  志村博のビデオ・エッセイ   光と色の空間ページェント  (2002年 7月)
      
      

高度1万メートルを飛ぶ航空機の小さい窓から見える風景は、幻想的な光と色に満ちている。
時速1千キロで移動する上空の観客席から、刻々と演じられる空間ドラマを見ている様である。
地平線は絶妙な色彩グラデーションで、大空の舞台を演出し、月や太陽、そして雲は、
地上では決して見ることの出来ない表情で、ダイナミックなドラマを、演じてくれる。

私が飛行機に乗るときは、大抵窓際の席に座る。小さな窓から普段は見られない光景や、
不思議な色合いの空を眺めていると、不意にシルクスクリーン版画の構想が浮かんだりする。
私の版画作品の幾つかは、この空の光景から得た“色彩インスピレーション”から生まれた、
と言っても過言ではない。 それ程、上空で見る空の配色は不思議で魅惑的である。

20世紀は航空機が飛躍的な進歩を遂げた時代であった。空の旅は一般的な移動手段になり、
飛行機も日常的に利用する乗り物になった。 移動に要する時間も、ただ退屈なだけだろうか?

地上1万メートル時速1千キロの移動空間では、窓からの幻想光景だけでなく様々なドラマに出会う。
あるフライトでは、偶然乗り合わせた合唱団の機上コンサートが開かれるハプニングもあった。



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  志村博のビデオ・エッセイ   神秘の北極圏“春”紋様  (2002年 5月)
      
      

日本とヨーロッパ、地球の4分の1周、約1万キロの距離を、年に数回往復する生活が、続いている。
最短コースが“北極周り”と呼ばれるシベリア上空を飛び越えるルートで、北極圏をかすめて飛ぶ。
何度もシベリア上空を飛ぶうちに、晩春の微妙な時期にのみ見られる、神秘的な紋様に気がついた。
地表に浮かぶ不思議な“雪解けパターン”や、北極海・バルト海で見られる“流氷パターン”である。

雲などに隠れて鮮明に見られない事の方が多いのだが、ついに絶妙の時期的タイミングと気象条件で、
この神秘的な“春”紋様と遭遇した。 私は、飛行機の小さな窓にカメラをつけて夢中になって撮影をした。
シベリア北部に展開する沼沢地帯では、5月頃に雪解けを迎え、まだら模様に溶けた雪は地表の起伏を
鮮明に描きだす。 点在する沼や湖、合間を流れる河川は、不思議な有機的紋様になり、眼下に広がる。

シベリア大地を流れる大河は、氾濫原の中を自由奔放に蛇行しつつ、幾筋にも分かれ、北極海に注ぐ。
侵食・堆積した痕跡が、年輪のように雪解け紋様に、刻まれる。 氷結から解かれ、流れ出た流氷群は、
蓮の葉状になり、春光に輝きながら漂う。 上空から見渡すマクロの風景は、ミクロの有機形態と極似して
いることに驚かされる。 宇宙を司る“法則”は、唯一つなのであろう。 *参照「ケンブリッジ通信」11号



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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  牛の親子を育む 自然のメドー  (2002年2月)
      
      

イギリスは国土の70%が農地である。 その約3分の2が牧草地と放牧地で、牧畜に使われている。
日本も巻き込むBSE−狂牛病は1986年イギリスで初めて報告された。 その10年後、1996年
イギリス政府が、人間にもごく稀に、感染する可能性を完全に否定出来ないことを認めた時、
ヨーロッパはパニックに陥った。 イギリスは牛肉の主要な輸出国だったからである。

このBSE問題の原因を遡って考えると第2次世界大戦に到る。 この戦争は島国イギリスを
食料不足に追い込み、戦後も、数年にわたり食料統制が続いた。 食料増産の農業政策により、
農業の近代化が進められ、牧畜の技術革新も行われた。 そんな中、合成飼料を与えられた牛から、
異常な食物連鎖によるBSEが発生した。 イギリス全土で18万頭の牛が感染したと言われる。

ケンブリッジ郊外のグランチェスター・メドーには、初夏から晩秋にかけて伝統的に牛が放牧される。
合成飼料を与えられることのなかった、ここの牛からは1頭の感染もなかった。 最近イギリス政府は
これまでの食料増産から、自然環境を第一に考えた農業政策への大胆な切り替えを打ち出した。
ここの長閑で、自然で、健康的な牛の育て方こそが、本来あるべき姿なのかもしれない。


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  暖流が優しく包むイギリスの冬  (2001年12月)
      
      

一般的に“イギリスの冬は寒い”というイメージがあるが、本当はどのように寒いのであろうか?
北大西洋海流は、メキシコ湾から流れ出る暖流で、偏西風に押されイギリスにぶつかり包み込む。
この影響でイギリスの冬があまり寒くならない。 1月のロンドンと東京の平均気温を比べると、
ロンドンの方が約1度高い。 では、なぜ一般的にイギリスの冬の寒いと感じるのであろうか?

それは、日本と比べてはるかに高緯度の位置にあるため、冬の日照時間が短いことにある。
日本の太平洋側と比べてみても、夜はむしろ暖かく感じるのだが、日中の気温は上がらない。
そして、イギリスの冬は暗いのである。 11月下旬、秋が深まると同時に、ますます陽射しは低く、
日没の時刻も日々早くなってくる。 そんな頃、暗くなった街並みを彩るクリスマス・シーズンが始まる。

マーケット広場ではクリスマス市が開かれ、色とりどりのクリスマス飾りや工芸品が屋台に並ぶ。
目抜き通りでは、光のパレードなどが行われ、市庁舎前のクリスマス点灯式に多くの人々が集まる。
しかし、気紛れなシベリア寒気団が降りてくると、いくら暖流に守られていても、気温は氷点下になる。
霜は雪が降ったように一面の銀世界を作るが、雪が積もることや、ケム川が凍ることは滅多にない。


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  偉大な画家を生んだ田園風景  (2001年10月)
      
      

イギリス人の持つカントリーサイドへのあこがれ、これは“田園至上主義”とも言えるほど強い。
その原点の一つが、18世紀イギリスが生んだ偉大な画家コンスタブルの描いた風景画であった。
彼は自分が生まれ育ち、慣れ親しんだサフォークの田園や、自然の風景を多く描いた。
当時の風景画にはなかった、ありのままの田園風景は、他の画家たちにも大きな影響をもたらした。

 ルソーやミレー、そして印象派の画家たちも彼の風景画の刺激を受けて、自然の風景を画き始めた。 
文化人達も彼の描く風景にふれて、田園の持つ精神的な価値を認識し、生活スタイルを変えていった。
自然の中で過ごす時間は人々に安らぎをもたらす。 カントリーサイドは農産物生産場としての
経済的価値 だけでなく、人に安らぎをもたらすもう一つの価値を、彼の風景画は気づかせてくれた。

イギリスでは近年、都会人口が減少し、人々はカントリーサイドへ生活の場を移動しつつある。
イギリス人の夢は引退したら、田舎に住み、自然の中で悠悠自適の生活をする事だと言われる。
コンスタブルは後に「少年時代を過ごしたスタウア川周辺の風景が、私を画家にした。」と述べた。
一人の少年を画家に育て上げた、ありふれたこの田園風景は今日も大事に守り続けられている。 


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  霧雨のケンブリッジを神輿が走る  (2001年8月)
      
      

2001年6月17日、霧雨の日曜日の朝、ケンブリッジの中心街を日本の“神輿”が走り抜けた。
この神輿パレードは日英の文化交流を計るJapan 2001ケンブリッジ祭りのイベントの一つだった。
目に見えないくらい細かい霧雨の粒が宙を舞っていた。 初夏にしては肌寒く、中心街の人出は
少なかったが、ケンブリッジの伝統的な街並と日本的な神輿の組合せは不思議な調和を醸し出した。

この“神輿”は手作りで、ある学校が制作したものであるが、重さも本物と同じ、遠目では殆ど
区別はつかない。 前日にリハーサルを試みた時は、10人程度の担ぎ手しか集まらなかった。
その重さに、市庁舎前から祭り会場ニュー・ホールまで1.5キロのコースを交代もなしに完走する事は
至難の技と皆覚悟した。 しかし、当日の朝には多くの担ぎ手が駆けつけ、堂々たるパレードになった。

偶然にも、この神輿のルートは、ケンブリッジの二千年以上に渡る歴史的な回廊を遡る事になった。
市庁舎前広場を中心にカレッジが点在する現在の中心街は、かつて沼沢地でしかなく、13世紀以降
大学設立により発展して行った。 ここを神輿が出発しケム川を渡る辺りで、千年以上前の旧市街地を
通り抜け、約二千年前にローマ軍の城塞都市があったなだらかな丘を登り、終着点の会場に到着した。


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  夏至の頃“真夏の夜の夢”は続く  (2001年6月)
      
      
 
緯度に比べ気候温暖なのであまり意識されないが、イギリスは日本に比べると遥か北に位置する。
首都ロンドンでも、樺太の北部、カムチャッカ半島の南端とほとんど同じくらいの高緯度である。
日本に比べ高緯度である事は、気温の違いよりは、夏と冬の日照時間の変化で認識させられる。
夏の夜明けは早く、3時半には明るくなる。 しかし、これは夏時間なので、標準時では2時半である。

夏至の頃、ケンブリッジ郊外、グランチェスターの丘に立ち、ある朝の光景を映像に収めた。
夜明け前、空気は冷たく霧が生まれ谷間を埋める。 日が昇り始めると風景に色彩が徐々に加わり、
辺りは朝の光と、鳥の鳴き声で包まれる。 霧は薄れながらもケム川の川面を静かに流れる。
朝露は地表のあらゆる物を水滴で縁取る。 このような朝の光景は至る所で、密やかに展開する。

しかし、ここグランチェスターでは、夏至の頃、ほかでは決して見られないある光景が展開する。
夜が明けると正装した若い男女が、ケンブリッジの方向から平底舟に乗って次々とやって来る。
彼らはケンブリッジ大学の学生達で、カレッジで開催されるメイ・ボールと呼ばれる伝統の舞踏会の
参加者である。 夜通し踊り明かした彼らはここのティー・ガーデンで朝食をとる為にやって来るのだ。


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  洪水に映える 川と大学の街  (2001年3月)
      
      

地球の温暖化は気候の異常変動をもたらし、世界的な規模での洪水被害も広がっている。
イギリスでも統計的にみると、100年前と比べて洪水の起こる頻度は約2倍になった。
去年の秋から今年の春にかけて、50年ぶりと言われる記録的な大洪水がイギリスの各地で起こった。
学園都市ケンブリッジでも、街の中心を流れるケム川が断続的に氾濫した。

ケンブリッジは大学だけでなく、ケム川による水上交通の要衝で商業都市としても栄えて来た。
中世には内陸港湾都市として隆盛を誇り、河畔の広場ではヨーロッパでも有数の市が開かれていた。
この水運の街には歴史的に洪水の記録が多く残されているが、洪水から川を街を守る堤防はない。
ケム川が氾濫すると水位が上がり、周辺の緑地に川の水が静かに溢れ出し、美しい洪水風景を作る。

洪水の可能性がある地帯がフラッド・プレインで、その地図がインターネット上に公表された。
洪水の危険性が増した現在、イングランド、ウェールズでは500万人がフラッド・プレインに住んでいる。
しかし、ここケンブリッジではフラッド・プレインと市内の緑地や公園がほぼ一致する。
これは長い歴史の中で、まれに起こる大洪水の教訓を忘れずに街作りをすすめてきた結果であろう。 


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  早春疾走!ケム川ボート追撃戦  (2001年2月)
      
      

ケンブリッジ大学は伝統のカレッジ制度を保持し、30以上の学寮としてのカレッジがある。
ケンブリッジ市の中心をケム川が流れ、河畔にはカレッジの艇庫が並ぶ。 街から数キロ下流では、
まだ風も冷たい早春、レント・バンプスと呼ばれるカレッジ対抗のユニークなボート・レースが行われる。

川幅約10数メートル、曲がりくねったケム川に縦一列、等間隔に並んだ20艘近くのボートが
大砲の音を合図に約2.5キロのコースを疾走し、追突するか追突されるかの追撃戦を展開する。
前のボートに追いつき、追突させる事により、勝負は決し、翌日の順位を1番繰り上げる事が出来る。
最終日の順位は翌年に引き継がれ、男子約70艇、女子50艇がその伝統的番付順位を競う。

数日間にわたるレース期間、このケム川筋は学生達の歓声と熱気に包まれる。
レース最終日、勝利したボートは艇を小枝で飾り、旗を掲げ、ケム川を凱旋走行する。
このようなボート追撃戦(Bumps)は早春のレント・バンプスと学年末、6月のメイ・バンプスがあり、
ケンブリッジ大学に学ぶエリート達の青春を飾るケンブリッジ最大のスポーツ・イベントとなっている。


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  『志村博の英国在住ビデオ・アルバム』  栄枯盛衰“羊毛産業”が残した街  (2001年1月)
      
      
 
ケンブリッジから南東に約35キロのサフォークとエセックスの州境に、中世の家並みを残す街々がある。
クレア、カベンディッシュ、ロング・メルフォード、レべナムは美しい田園地帯に数キロ間隔で点在する。
15世紀頃イギリス南東部、サフォーク州・エセックス州は上等服地・毛織物の主要な産業地区であった。
羊毛産業は、当時としてはハイテク技術を駆使して原材料から商品性の高い毛織物を生み出していた。

中世は、キリスト教会が勢力を拡大した時代で、この地域でも大規模な教会建設が次々行われた。
羊毛産業は莫大な利益を生み、裕福になった市民層はその富を競って教会建設に注ぎ、その権勢を
誇示した。 羊毛産業の街々は立派な教会を持ち、市民はその繁栄を謳歌する。 16世紀になると、
毛織物の製造工程で様々な技術改良がなされ、エネルギー源としても水車が導入されるようになる。

しかし、これらの技術改良は皮肉にも、この地域の主力ハイテク産業である毛織物製造を衰退に導く。
自然の水流を利用する、水力エネルギー革新は、豊富な水流を多くもつ西部へ産業を移動させる。
この次の時代、羊毛産業の中心地は、起伏の大きい“コッツウォルド丘陵地帯”へと移行してしまう。
自ら生み出した技術革新は、この地の羊毛産業を廃れさせ、時代の流れに街並と教会だけが残された。


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